■ MAE today

この欄には当研究所の近況や、今思うことなどを概ね1回/月のペースで気ままに書いていこうと思っています。どうぞお気軽にお読みください。    → MAE board

05.04:ファンになってしまいました。

上野教授!

一度読もう、読まないといけない、と思っていた本をやっと読みました。
あの東大教授、社会学の上野千鶴子先生の本です。いくつかある中選んだのは「家族を容れるハコ・家族を超えるハコ」 でこれが実に面白いのです!
変貌していく家族のありかた、子供、セックス、ジェンダーフリー、シングル、老後、介護保険など住宅にまつわる話を切れ味鋭くまくしたて「建築家がつくってきた住宅は家族の実態とずれてるではないか?いつまでnLDKの住まいをつくっているのだ、現実の家族を見据えて新しいモデルを示すべきだ!」と建築サイドを非難攻撃してくる下りが多くこちら側はタジタジなんですが、仕事のみならず我が身に重ね合わせても大いに共感するところありなのです。

確かに家族が変わりそのハコである住宅も少しずつ変わってきてると感じるのですが、教授も言われるようにメーカー住宅や共同住宅はいまだにnの数に価値をおくnLDKユニットがほとんどであり、その集合として密室ユニットが均一に反復並列する様もいっこうに変わろうとしない。そこのところは大いに問題意識を共有するところで、別の本「51C・家族を容れるハコの戦後と現在」においても真剣に議論されている通り、責任がどこにあろうと改善して行かなければならない。しかし一つだけ教授の主張に抵抗を感じる部分があるのです。

「家族家族と言っても全員が一緒に暮らすのは人生の1/3程度であるし、年老いても家族が介護してくれる保証もなく、母子家庭なども当たり前の時代であり、要は一人でいかに暮らすか、つまり子育ての保母さん、介護のヘルパーさんなど他人といかに暮らすかを考えないといけない」としてそのような住宅を造っていかないといけない、と続くのです。

ご指摘は建築のテーマとしては非常に興味深いのですが、しかしそれは個別解であり一般解としてのモデルを考えるためには共に住むユニットのあり方がそれで良いのかともう一度考えないといけないと思うのです。
血縁としての家族というユニットのための建築、それが今まで住宅と呼ばれてきたわけですが、教授のご指摘はその建築類型にメスを入れる事ではなく、その集合、つまりは共同体や都市のあり方を改めて考えることだと、私も51Cの本での鈴木成文先生の意見に賛成なのです。
ちょっと古いのでしょうか?みなさまのご意見お待ちしております。

05.04.01
05.04.03修正