■ MAE today

この欄には当研究所の近況や、今思うことなどを概ね1回/月のペースで気ままに書いていこうと思っています。どうぞお気軽にお読みください。 

11.07:この蒸し暑さなんとかして欲しい

ドウブロブニク

むかし原研究室の集落調査のレポートを読んで一度は行きたいと願い、それからも多くの建築家が訪れ賞賛される街、その憧れの地ドウブロブニクへ今春やっと行くことができました。クロアチア自体が初めての体験でこの地もかつてのローマ帝国だったと分かり改めてローマの大国ぶりに驚かされた。
ドウブロブニクdubrovnikへはスプリットsplitからバスで入った。アドリア海の海岸沿いを走る4,5時間のドライブ、途中何と国境を通過する。隣国ボスニアヘルツエゴビナがほんの10kmほどアドリア海へ突き出しクロアチアを分断しておりバスは一旦入国しそして出国する。こんなことがあるんだろうかと訝るがその長い歴史の結果として大変興味深い。

それより今日はドウブロブニクである。風光明媚な海岸沿いにありながら城壁で閉ざされた街。街の造りは単純である。中央東西に走るストラダン通りをメインストリートとし北側と南側へ枝のように街路が分かれて行く、そして中央から遠ざかるに連れて駆け上がって行く。そう城壁内はすり鉢状の地形でその求心性が自治都市の精神とリンクしいかにも象徴的なのである。
それら枝葉をなす街路はベネチアのような迷宮都市を織りあげそのシークエンスがまた大変魅力的だ。
ここにも素晴らしいまさしく世界の大切な遺産なる小宇宙が存在していた。しかも屈指の観光都市でありながら人々が住み続け日々の暮らしと同居している事が更に魅力的に映った。
夕暮れの広場には仕事を終えた人々がカフェで憩いその廻りを子供達が走り回る。そういう日常の一こまがメインストリートで繰り広げられ、そこへ「すみません、ちょっとお邪魔致します」と言う感覚で隅っこの席に座る。長い歴史もさることながらほんの20年前の内戦でこの街も結構な部分が破壊されたらしい。そんな辛い出来事もなかったかのように復興され人々のまなざしは優しさにあふれ、それも心に残りました。
頼もしく優しく、そんな素敵な人々、素敵な街でした。

11.07.07
11.07.13一部修正