13.03:シリーズ第2弾(アーチストとお呼びすることに失礼があればお許しください

3人の女性アーチスト2

宮永愛子さん
このかたのことは知りませんでした。昨年末大阪の国立国際美術館で個展があり、新聞でそのインフォメーションを読んだのが最初でした。
代表作品に「シンデレラの靴」があるそうですが、それを作った材料が何とも意表をつきます。この方の作品の主材料はナフタリンなんだそうです。
硬いわたしの頭ではタンスの中の防腐剤しか思い浮かびませんが、乳白のその固体で日常のいろんなものが形作られるのですが、出来上がった瞬間からその作品は崩れ始めます。つまり空気に触れナフタリンが朽ちて行くのです。形になった瞬間から崩れていくその非情さ悲しさ。戻りたくても戻れない時間。

むかし「うつろひ庭園」というタイトルで、あるコンペに応募したことがあります。それは新潟の海沿いにある長い松林の公園を舞台に、道路で分断されている部分に歩道橋を設置し、公園全体の環境整備を求めるものでした。
我々は歩道橋に、小さな屋根を集合させて明快な形を与え、公園は基本的に現状を変えることなく松林の隙間を縫って「道標」とよぶ小さな造形をちりばめ、いろんな軸にデイレクションを施しました。
ただそれをたどればどこかへたどり着く、というものではなく、どこにも導かない「道標」をたどることで、海、松林、太陽、風といった自然を気づき、身体で感じてもらおうとしたものです。
常に同じではなく、時間とともに変化し、移ろう環境。その時は移ろわないもの、構築された確かなものとして、建築を提示しました。(今は少し考えが違う気がします)

宮永さんの展示はケース、カプセル、あるいは樹脂の中に閉じ込められてますが、それらはいろんな生きものたちに重なります。呼吸しようと一旦空気に触れた途端もはや朽ちて行く運命にあり決して戻ることが出来ない。
個展のタイトルは「空中空」で最後の空の漢字が逆さまに書かれ「なかそら」と読むそうです。
かたちあるものは変わりゆく。
いのちあるものはいずれは朽ちる。
結局常に何かの途上であり、変化し続けている。捉えたと思ったとたん滑り落ちていく、その儚さのなかにある美しさに心が動きました。
今後大変気になる方が一人増えました。

*この個展は写真撮影可でしたのでこちらにまとめました。

13.03.01