15.03.11:今年の思うこと

あれから4年

今年もこの日が巡って来た。メデイアでは様々な特集が組まれており、災害とどう向き合うかを迫られる。
4年経って少しずつであるが眼に見えるものが増えて来た。
復興への高台移転、かさ上げ造成、防潮堤、復興住宅、等々、しかしなぜかどうしても悲観的に見てしまう。暗く重くのしかかる原発の影響は明らかだが、それに限らず未来に向けての明るい光が見えてこない。山を切り崩す造成風景や復興住宅の名のつくマンション群、かつてのニュータウンのような光景に何か寒々としたものをおぼえるのである。

結局「場を造る」ことではないか、と最近思う。
あまりにも普通の言い方で恐縮だが、物理的な場所ではなく人々の心の中で成立する場所、特別ではなく日常の中で存在する場所。
いかに素晴らしい建物ができても人が集い利用しなければ場所とはならない。用途はあっても場所として機能しない建物ができてしまうのは何とも残念で造る側の人間としてやりきれない。
逆にどんな建物でもあるきっかけでみんなの重要な場所となる。1件の空き家が、シャッターが降りた商店街が、特にどうという建物でなくても当初の用途とは関係なく生き生きと使われているのを見ると嬉しい反面ちょっと悔しい。
建物とともに場所ができて人々の居場所となる。
プロセスのどこかで公共性に通じるものが付与されるのだと思う。建築の力だけでは備わりにくい、使われる事で培われる性格が。そういう意味でプログラムデザインが着目されて久しいが、復興の現場にこの視点が根付いているだろうか。
強いコミュニテイが残っていそうなこの地域では用途に縛られない建物が意外と効果的ではないだろうか。時間に追われ目的だけの建物を供給して終わるのは避けて欲しい。
まだ少ししか見えてきていないがこの辺りが気になる4年目である。

*何もしていないのに書くのは気が引けますが、あくまで自分用のメモということでご理解下さい。

15.03.11
一部修正15.03.12