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20.06:油断は禁物

コロナの続き

毎日テレビをつければコロナ、朝でも昼でも夜でもどこでもコロナ、感染はしてないけど頭はコロナに占領されてしまいました。
我が国からは遥か遠い一地方での出来事があっという間に世界へ広がり、まさに地球は一つです。

そこまでの広がりがなくても、我々の住まいの環境は都市、街、家、部屋、とつながってます。以前のような都市居住ではあまり感じなかったのですが、2年ほど前に郊外に移って都市との行き来を始めたのですが、コロナに都市との繋がりを切断され、また人が集まることも阻害され、住環境の広がり、繋がりの大切さを痛感してます。

通勤、通学、あるいは近隣への買い物と、毎日自分の部屋や家から出て別の場所で社会的な生活を送ってきた人々が、社会との繋がりが切断されたのです。そしてそれは人と人とのコミュニケーションも閉ざされたと言うこととイコールです。

しかしそこは文明の利器、もうかなり前からIT、ICTのテクノロジーは進歩著しく、ここぞとばかり圧倒的に普及し支持されるようになりました。手に持つスマホで遠くの人に会い、テレワーク、オンライン授業と、戸惑いながらもブランクはリカバリーされ、元に戻りつつあります。今まではプラスα、あるいは未来予測だったITとの共存が生活の基本に置かれる新しい生活様式として認識されるようになりました。

で、そうでしょうか?
確かにコロナの緊急事態は目から鱗的な発見が多々ありました。
当たり前に思ってきたオフィスのデスクは実は不要だったり、聞くだけの授業ならビデオでできたり、そういう形式的な仕事や学習の形態があからさまになりました。また馴染みの店へ行かないことが関係する方々の生活を奪うなんて思ってもみませんでした。
社会は実に複雑に、あるいは精巧にと言うべきか、絡まり合っています。
地震、台風、洪水、と自然災害が起こるたびにもっと強い社会を望みますが、今回は単に「弱さ」を見せつけられた感じで実に悔しい。
飲めば治る薬が待ち遠しいですが、根本的で変革的な社会へのアイデアが求められてる、別の緊急事態と思います。
生きてるといろいろありますねえ。

20.06.02